一応、邦画劇場

過去の自分、現在の自分、そして未来の自分に向き合う映画鑑賞

パンとバスと2度目のハツコイ

私的評価★★★★★★★★☆☆

パンとバスと2度目のハツコイ [Blu-ray]

 (2018日本)

スキにならずに、スキでいる。

 「私をずっと好きでいてもらえる自信もないし、ずっと好きでいられる自信もない」と、独自の結婚観を持ち、パン屋で働く市井ふみ(深川麻衣さん)が、中学時代の“初恋”の相手・湯浅たもつ(山下健二郎さん/三代目 J Soul Brothers)とある日偶然再会したところから物語は始まる。プロポーズされたものの、結婚に踏ん切りがつかず元彼とサヨナラしたふみと、別れた奥さんのことを今でも想い続けているたもつが織りなす、モヤモヤしながらキュンとする“モヤキュン”ラブストーリー。「初恋相手は、今でも相変わらず魅力的だぁぁぁぁあ!!」”恋愛こじらせ女子“の面倒な恋が動き出す!?「結婚」をテーマに、コミカルで人間交差点的な今泉力哉ワールド全開の恋愛群像劇が繰り広げられる。
(映画『パンとバスと2度目のハツコイ』公式サイト「イントロダクション」より引用)

pan-bus.com


 孤独を愛するオジさんであるボクが、年齢も性別も異なる若いヒロインの考え方に共感を覚える、そういう映画なワケです。
 とは言え、育ってきた環境や紡いできた文化がさっぱり重ならないので、ふみの言動に呆気にとられることもしばしば。

 シチュエーションはともかく、付き合っている彼氏がエンゲージリングを手に求婚して、「私をずっと好きでいてもらえる自信もないし、ずっと好きでいられる自信もない」という理由で、何となぁ~く結婚を断られたら、遠い見知らぬ土地まで仲良く一緒にドライブしていたのに、突然何にもない道端に放り出されて置いてけぼりを食ってしまったような、もう、何が何だか意味不明でどうしたらいいのか分かんないよォって溜め息吐くしかないカンジって、分かります?
 「なんじゃそりゃ?」ですよ。
 まぁ、ずっと好きでいられるかどうかなんて分からないのは、本質的な事実でしょうよ。
 でも、大抵の人は、先のことなんて考えないし、万が一好きでいられなくなったら別れりゃイイと心のどこかで思ってるし、実際別れるし、もしそんなことを考えたとしても、やり直せばいいって自分の気持ちに折り合いをつけて自分を納得させてる、というか、恋愛と結婚はそもそも別モンで~みたいな考え方もあって~云々かんぬん何たらかたら……いや、とにかく。ふみにそんな小理屈ぶちまけてみたところで、彼女のATフィールドは、頑として受け付けないばかりか、そこから先は〝Communication Breakdown〟by Led Zeppelin~だわなぁ。orz...

 このシーンの時点で、ボクは彼女にこれっぽっちもシンパシーを感じなかったというか、できればお近づきになりたくない類の女子だぁ、みたいなイヤぁ~な印象を強烈に植え付けられてしまい、この映画、観続けてダイジョウブか?と思ったのは確かです。


 しかし、観進めるにつれ、彼女の生態が分かってくると、あぁ~何か分かるわ、その気持ち、みたいなところがいっぱい出てきて、うっかり楽しく観てしまってたワケですね。


 毎日午前3時半に起き、昼過ぎまでパン屋で働くと、まかない(?)のパンをかじりながら、ひとり歩いて帰る。
 パンをかじりながら、しばしばバスの営業所で洗車機をくぐるバスをぼーっと眺めるのがルーティーン。
 しかし、その様子は、ひそかにバス会社の中でも噂になるほど目立っていたことなんて、知る由もない。
 見事に孤独を楽しむ達人的暮らしぶり、でしょ?

 妹に指摘されて、ケータイをしばしば携帯しないことが判明する。
 携帯し忘れるのは、さまざまな形で送り付けられてくる他人からのアプローチを、本質的に煩わしいと考えているから?
 孤独を愛する人、何となく寂しくありたいと斜に構えてる勘違いなナルシスト。
 もしかしたら、他人の目には、なんかカッコつけてる変なヤツ、としか映ってないようなタイプ、じゃなければいいのだけど。

 美大受験を浪人した妹が居候を始めるが、妹の油彩画のモデルをする以外は、妹の生活にはほぼ関心を持たないように見受けられる。
 あ、でも。妹との仲はすごく良さそうだし、実家の祖母の誕生日に電話したりするところなんかは、家族を大切にして、ちゃんと浮世に生きてるな、って思って、安心しちゃったwww
 一方の妹の方は、絵を描くことが好きだった姉が、絵を描かなくなって美大も中退してしまった理由を知りたくて、姉の暮らしぶりや薄~い人間関係にしばしば関心を寄せる。
 「自分にしか描けない絵なんてない」
 ふ~ん。カッコつけた言葉に聞こえるけど、自分の才能に見切りをつけたってことだよね。
 でも、なんか大事なモノとの関係性を断ってしまったことで、よりいっそう孤独に入り込んでるなぁ、って思っちゃった。

 洗濯機が壊れてコインランドリーに出かけると、本箱の中には〝孤独〟を散りばめた背表紙ばかりが居並ぶ。
 洗濯が終わるのを待っている間、転寝してると、夢か現か、〝孤独〟を集めた本の持ち主である少年が現れて、
 「孤独なの?」
 「この本をくれたおじいさんは、必要なくなったから、ここには来なくなったんだ」
 「洗濯機が使えるようになったら、お姉さんも、ここには来なくていいよ」
 「私には必要だから、ときどき来るよ」
 孤独であることを捨てられない、ふみ。
 その少年は、彼女のイマジナリーフレンドのようなモノかい?



 人は、極端に思考を振り切っても、その場所に安穏とはしていられないものだと思うのね。
 必ずカウンター的思考に揺らぎ、何が自分の真実なのかを疑い、迷い続けてしまうような気がするのです。


 「私をずっと好きでいてもらえる自信もないし、ずっと好きでいられる自信もない」というのは、
 「だから、誰かを好きになることはない」と同義ではないのです。
 ふみは確かに恋をしたことがあるし、付き合った彼氏もいたし、単に「何かしら、決め手に欠けている」と感じていたから、続かなかったのかなぁ、って思います。
 「だけど、誰かを好きって思うことはあるの」ってことに、自己矛盾を感じて悩み、恋愛をこじらせるのかしらね?


 そんなふみの前に、初恋の相手・たもつが再び現れるワケです。
 それが、妻に浮気された上、子どもの養育権を取り上げられて離婚された、みたいな状況なのに、「まだ元妻を愛してる」って言うんですよね。
 「何で?」って、ふみならストレートに思うわなぁ。
 彼女にすれば、たもつの思考・行動は、自分の疑問に対するひとつの答えなのかもしれないって、思いましたが……。

 でも、その答え、ズバリ、ふみがたもつに指摘しちゃうって、なかなか衝撃。
 あぁ、そっか。
 ……うん、そうだな、たぶん、ソレ、正解。
 衝撃的なセリフは、本編観て確認してね。
 ボクは、すごく腑に落ちてしまったのだけど、他の人はどう感じるのかなぁ?



 この映画、会話だけ聞いてたら、「なんじゃそれ、どーでもイイわ!」みたいに思えてきちゃうところがあるんですけど、ちゃんと画面の中の人物の動き、目線だとか、仕種だとか、場所だとか、背景・景色だとかを見ていると、知らぬ間に惹き込まれてしまうんですよ。うまく言えないんだけど、セリフだけじゃない、その場に漂う空気感みたいな、うん、アレだな。やっぱり対面じゃないと分からない、言葉になっていないキモチみたいな、そんなのが画面のあちこちににじみ出てるような気持ちにさせられたんですよね。
 
 それで、ふと気づいたんですけど、ふみが唐突に「緑内障を患っている」というエピソードが前半に出てきて、「おぉ、まさか失明するとか、さらにこじれる面倒くさい展開の伏線か?」って慄いてしまったんですが、目薬を忘れず定期的に差し続ければ進行は止められるって分かって安心したというか、「てことは、緑内障って、どういう仕込みなんだろう?」って思って、ず~っとモヤッとしちゃってたんです。
 右目の右上の視野が欠けていて見えづらい、って日常生活上は、まだあまり支障はないと思われる症状なワケなんですが、「もしや?」と思ったのが、たもつが登場してからなんですよ。
 たもつとふみの立ち位置。
 いつもふみは、たもつの左側に居るような気がして、それって、「たもつの顔をハッキリ見えない位置に追いやってる?」って気づいたら、あぁ、これ、もし今泉監督の仕込みだとしたら、「凄げぇーな!」って感心したのです。
 ふみの、たもつに対する〝微妙な感情=素直に表せれない淡い恋情〟が、彼女の何気ない立ち位置に表れてるのかも、なんて思ったら、ちょっとドキドキせずにはいられませんでした。


 あと、ふみが、たもつの寝顔を見ながら、彼の輪郭をスケッチした紙の端っこに、ギルバート・オサリバンのヒット曲〝Alone Again (Naturally)〟って書いてたんですよね。
 この曲は、ボクが少年時代にラジオでよく聴いていた洋楽ヒットチャートの上位曲で、いまだにCMでもたびたび使われてる名曲です。
 深まる秋の風情にふさわしいような、少し物悲しいけど、努めて明るく振舞おうとするような、そんなメロディーを頭の中で再生してみたら、切なくなって本編と関係なく、じわっと涙ぐんでもたんですよねぇ~^^;
 そう言えば、この曲の歌詞って、たもつの境遇そのものみたいな内容じゃなかったっけ?
 わざとメモの端っこ見せてるから、これも仕込みですよね?
 なんか、あざとい判じ物、仕込んでるなあwwwなんてね。




 今泉監督の恋愛映画って、めでたしめでたしで盛り上がって終わるんじゃなくって、現実世界に生きる人と同様に画面の中の登場人物の、「エンドクレジットのその先の暮らし・人生がまだまだ続くんだよね」ってことがエンディングに示唆されていて、だからこそ、リアルな人間模様を感じられて、好きなんですよね。

 本作が面白いと感じられる自分で良かったです^^



●監督・脚本:今泉力哉 ●音楽:渡邊崇