望み
私的評価★★★★★★★★☆☆
(2020日本)
一級建築士の石川一登(堤 真一さん)とフリー校正者の妻・貴代美(石田ゆり子さん)は、一登がデザインを手掛けた邸宅で、高一の息子・規士(岡田健史さん)と中三の娘・雅(清原果耶さん)と共に幸せに暮らしていた。規士は怪我でサッカー部を辞めて以来遊び仲間が増え、無断外泊が多くなっていた。高校受験を控えた雅は、一流校合格を目指し、毎日塾通いに励んでいた。
冬休みのある晩、規士は家を出たきり帰らず、連絡すら途絶えてしまう。翌日、一登と貴代美が警察に通報すべきか心配していると、同級生が殺害されたというニュースが流れる。警察の調べによると、規士が事件へ関与している可能性が高いという。さらには、もう一人殺されているという噂が広がる。
父、母、妹――それぞれの<望み>が交錯する。
(映画『望み』公式サイト「STORY」より引用)
nozomi-movie.jp
殺人事件に関わった家族の葛藤を描いた、なかなか重苦しいテーマの作品。
ある冬の夜に起こった、高校生リンチ殺人事件に、その夜以来帰宅していない息子が関与していると言う。
息子は加害者なのか? それとも被害者なのか?
被害者だった場合、息子はすでに命を失っていることになる。
加害者だった場合、息子は生きている可能性が高くなるが、今の生活をすべて失うとともに、世間からの無慈悲なバッシングに耐え忍ぶ暮らしが待っている。
いずれにしても、家族にとっては地獄でしかないような状況の中でも、三人三様、それぞれの立場で異なる〝望み〟があぶり出されてゆき、家族はギクシャクとし始める。
『たとえ犯罪者となっても、生きてさえいてくれたら。』
『あいつは、人を傷つけるようなことができる子じゃない。』
『犯罪者の家族には、未来なんてない。』
『じゃあ、死んでてほしいって言うのか。』
このまま家族は壊れてしまうのか?
究極の選択を突き付けられたようで、そうではない。
事実はどちらかに転がるだけだから。
どちらに転がっても、受け止める覚悟が必要なだけ。
それでも悲しいことに、人は確からしさのない希望的憶測や、望み薄い願いにすがることによって、自身の心の平衡を保とうとしてしまう。
当事者には、置かれた状況を冷静に客観視することは叶わないのだろう。
三人三様の〝望み〟と言ったが、それは当面の欲求に対してであって、心のどこかでは、事件前までの息子との関係性を思い返し、やはり亡くしてしまうことの悲しみを、必死にこらえているようにも映った。
どんな形であれ、愛しい家族を失うことは、これ以上ない悲しみだ。
できれば『生きていてほしい』と願うものなんじゃないのかな?
一方で、やはり、この作品でも加害者家族に対してぶつけられる、匿名の歪んだ正義感が生み出す無慈悲で無情な仕打ちは、描かれざるを得なかった。
映画での見せ方は控えめだとは思ったし、むしろ通り一遍にパターンをなぞっただけとも思えたが、匿名の世界から、やがて身近なところまで謂われ無き加害者叩きの澱が積み重なっていくと、その重みのやるせなさに、観ている自分も、心が病んでいくような気分になってしまった。
中でも、玄関先に出てきた父親を、自転車で通りかかった中学生くらいの少年たち数人が、口々に「父親、父親」と言いながらスマホで撮影して立ち去る様子には、背筋の凍るような戦慄を覚えた。
少年+顔出しによる、無自覚な〝むき出しの悪意〟に晒される恐怖。
さりげなく流されているが、吐き気がして仕方なかった。
事実が分からない段階での、関係者叩き。
加害者の関係者には、どんな仕打ちをしても構わない。むしろ叩かれるべきだ。
それを社会正義だと思い込んでいるのだろうが、誰にも自分と無関係の人を叩く権利などない。
ましてや、テレビで大勢の人に影響力を行使できる立場の人が、感情に任せて誰かを叩くのなんて、もっての外の筋違いだ。
そんなに簡単に踊らされていると、気づいたときには、とんでもなく不自由で生きづらい社会になってしまうと危惧せざるを得ない。
最後は、本作の筋とは関係なくなってしまった。
さて、最後の母親とライターの会話で気になったことがある。
「たとえ加害者として、生涯罪を償う人生になるとしても、生きてさえいてくれたら、それでいい」と願うことは、果たしてキレイ事でしかないのか、どうなのか?
いろいろと考えさせられる映画だった。