一応、邦画劇場

過去の自分、現在の自分、そして未来の自分に向き合う映画鑑賞

巨神兵東京に現わる 劇場版

私的評価★★★★★★★★★☆

f:id:vgaia:20210110030910j:plain
映画.com『巨神兵東京に現わる 劇場版』作品情報より引用
巨神兵東京に現わる 劇場版 : 作品情報 - 映画.com

 (2012日本)

 「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」と同時上映の特撮短編。宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」に登場した巨神兵を主役に、ミニチュア特撮技術の粋を集め、巨神兵が東京の街を燃やし尽くすスペクタクルを展開する。2012年7月10日~10月8日に東京都現代美術館で開催された「館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」の展示映像として制作された短編に、映像・音声の調整を加えた「劇場版」として上映。
(映画.com『巨神兵東京に現わる 劇場版』作品情報「解説」より引用)

 東京に一人で暮らしている女性の「私(声:林原めぐみさん)」のところに、突然弟がやってきて「明日、この街は滅ぶ」と予言めいたことを言い出す。いつもはそんなことを言わない弟を訝しく思いながらも取り合わない「私」だったが、翌日に突然異形の巨人「巨神兵」たちが東京に現れ、街を焼き尽くしていく。
Wikipediaより引用)


 『風の谷のナウシカ』に登場する巨神兵とは似つかぬ造形の実写特撮版の巨神兵は、もはやエヴァンゲリオンでしかない、というか、世界を破壊しつくしリセットする神のような存在、そういう意図が込められてるとしか思えない。

 オリジナルは2012年7月10日~10月8日に東京都現代美術館で開催された「館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」の展示映像として制作された短編『巨神兵東京に現る』で、こちらはCG無しのミニチュアと光学合成をメインとしたいわゆる日本の特撮技術の粋を凝縮した掌編だったらしい(編集上デジタル合成は使っている模様)。
 解説映像で見たのだが、炎上するキノコ雲のような爆発映像など、綿や布地などと光源を組み合わせたりして、いかにも昭和的な「本物のように見せる」創意工夫が随所に盛り込まれている。いわば、日本独自のミニチュア特撮の限界を極めた〝特撮見本市〟のような作品だったのだろう。
 劇場版で公開するにあたって、巨神兵の光を放つ羽など一部を3DCGで合成したり、音声を整える等の改変を加えているとのことだが、実はここに、庵野ー樋口がその後『シン・ゴジラ』を制作するにあたり、ミニチュア+着ぐるみ操演による伝統的なゴジラ撮影の手法を見限って、日本映画初の全編CGによるゴジラ映画を誕生させた布石があったように思う。たぶん、本作でミニチュア特撮の限界にたどり着き、潔くオールCGゴジラを決断したのではなかろうか? いや、その決断に直結してはないかもだけど、その方向性を探るきっかけにはなったのではないかな?と思う。


 短い作品だが、コロナ禍の今観ると、なんとも言い難い、この世の真理を凝縮したような深い内容だと思わされる。
 災害は突然に…ではなく、予兆を見逃しているだけ。
 のほほんと生きていたら、見逃したことすら気づかぬまま、滅んでいってしまうのみ、なのか?
 なぜ、巨神兵が東京を急襲したのか、理由は分からない。
 分からないが、少なくとも、この星の46億年という時間軸の中では、吹けば飛ぶようなボクらの傲慢な文明は、早晩滅びゆく宿命なのだと思っている。
 ボクらは、このちっぽけな地球の中で、本来生命が存在することも困難なほど危ういバランスを保っているこの地球の中で、ほんの短い期間だけ奇跡的に存在してきたに過ぎないのに、そんなことをほとんどの人類が忘れ去って、わがままの限りを尽くしているように見受けられる。
 もはや、壊れかけたこの星の命の核に、つぎはぎだらけの延命装置を取り付けようと、悪あがきをしているだけなのかも知れないと思う時もあるけれど、どうせなら、簡単に諦めたりはしたくないとも思っている。
 まだ、死にたくはない。
 まだ、滅んでしまいたくない。
 ならば、警告、予兆を見逃さぬよう、心を張り詰めよう。
 希望を見いだせるよう、最後の最後まで、悪あがきをしよう。

 たとえ、7日間ですべてが無に帰すとも……。


●監督:樋口真嗣 ●監督補・特殊技術統括:尾上克郎 ●脚本:庵野秀明 ●巨神兵宮崎駿 ●言葉:舞城王太郎 ●操演:関山和昭 ●巨神兵操演:村本明久 ●制作:特撮研究所、カラー ●製作:スタジオジブリ