一応、邦画劇場

過去の自分、現在の自分、そして未来の自分に向き合う映画鑑賞

わたしは光をにぎっている

私的評価★★★★★★★★★★

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映画『わたしは光をにぎっている』公式サイトより引用

 (2019日本)


しゃんとする。
 どう終わるかって、たぶん大事だから。

 亡き両親に代わって育ててくれた祖母・久仁子(樫山文枝さん)の入院を機に東京へ出てくることになった澪(松本穂香さん)。都会の空気に馴染めないでいたが「目の前のできることから、ひとつずつ」という久仁子の言葉をきっかけに、居候先の銭湯を手伝うようになる。昔ながらの商店街の人たちとの交流も生まれ、都会の暮らしの中に喜びを見出し始めたある日、その場所が区画整理によりもうすぐなくなることを聞かされる。その事実に戸惑いながらも澪は、「しゃんと終わらせる」決意をする―。
(映画『わたしは光をにぎっている』公式サイト「ストーリー」より引用)

phantom-film.com


 上映2週目に入って残り3日、しかも17:30~の上映回しかないので、よっぽど諦めようかとも思ったんだけど、思い切って劇場に足を運んで正解だったわ。
 年末に予告編を観て、やわらかい光に包まれる松本穂香さんの肖像がステキで、舞台も再開発で無くなってしまう銭湯だなんて実にそそられるなぁって思ってたもんで、期待して観ました。
 結果、期待をはるかに超えるステキな空間に包まれて、終始おだやかなキモチで観てました。


 主役の澪は、引っ込み思案で人付き合いが苦手で、他人に対して自己主張しない/できない二十歳の女の子。
 人に親切にしてもらっても、深々とお辞儀はできても、『ありがとう』の一言が発せないし、放っておくと、いつの間にか隅っこでポツンと黙ってたたずんでいるようなタイプ。
 亡き両親に代わって育ててくれた祖母と、おっとりと田舎暮らしをしてきた彼女が、その祖母の入院を契機に、父の知り合いで銭湯〝伸光湯〟の主・三沢京介(光石研さん)を頼って上京し、働くことになります。

 東京で始めたバイト先のスーパーでは、買い物客の問い合わせにたびたび立ち往生して何も言えず、そのたびにヘルプに入る年下の先輩女子高生バイトに『何でも察してもらえるとか、思わないでください』と言われて凹んでしまい、そのままバイトを辞めてしまいます。
 居候先の銭湯で知り合ったOLの島村美琴(徳永えりさん)には、晩ご飯の帰りに『澪ちゃんはさぁ、話せないんじゃなくて、話さないんだよ。そうすることで自分を守ってるんだ』と言われ、いたたまれずその場を離れて一人ベンチで黄昏てしまいます。

 二十歳になるまで、ふるさとの祖母・久仁子に心配ばかりされていた澪。
 一人で出てきた東京に、果たして彼女の居場所はあるのかしら?



 二十歳の頼りなげだった女の子が、東京の下町に自分の居場所を見つけ、ささやかな一歩を踏み出す物語。
 中川監督いわく『翔べない時代の魔女の宅急便』は言いえて妙。

 何か事件が起こるから映画になるんじゃない。
 大切なことは、何気ない日常の中に、ちゃんとある。
 東京の下町の商店街に集う、多種多彩な人々の健やかな営み。
 立ち退きで廃業する銭湯につかる市井の人々の、なんてこともない穏やかな時間。
 再開発のため、まもなく無くなる街に対する、感謝と敬意に満ちた愛おしい笑顔の数々。

 大切なもの、大切な人、大切な時間、いつかは無くなってしまうけれど、ちゃんと終わらせることが、たぶん大事なこと。
 そうして、終わっても、ちゃんと見送ることができていれば、また、新しい大切なもの、大切な人、大切な時間を迎え入れられる。


 何もかも急速に流れていくように見える不安な現代だからこそ、今を生きるための大切な心のあり方が、この映画には示唆されていると思うのです。
 この映画に映し出される、すべての景色が美しく愛おしい。
 焚き立てのアツいお湯で、すっかり心が洗われた気分。
 なんて清々しいんでしょう。


●監督・脚本:中川龍太郎 ●脚本:末木はるみ、佐近圭太郎