一応、邦画劇場

過去の自分、現在の自分、そして未来の自分に向き合う映画鑑賞

海がきこえる

私的評価★★★★★★☆☆☆☆

海がきこえる [DVD]

 (1993日本)

 東京の大学に通う杜崎拓は、駅の向かいのホームに高校時代の同級生だった、武藤里伽子の姿を見かけたような気がしました。しかし、向かいのホームに入った電車が発車すると、彼女の姿は見えなくなっていたのです。折りしも大学の夏休み、拓は高知に帰省する飛行機の中で、高校時代を回想し始めました。それは、高校2年の夏休みのことです。拓の親友の松野豊のクラスに、両親の離婚のため東京から母親の実家のある高知に引っ越してきた里伽子が編入してきました。松野は里伽子に一目惚れしてしまい、バイト中だった拓を呼び出し、気持ちを打ち明けます。2学期が始まり、里伽子が登校し始めると、成績優秀でテニスの腕前も抜群の彼女は、あっという間に注目される存在になりました。ところが、誰にも心を開かない態度をとる彼女は、クラスでは完全に浮いてしまい、松野は彼女のために心を砕くのですが…。


 1993年5月5日16時から、日テレ系で放映されたアニメですが、実はそのとき、途中から見たんです。この作品を途中から観てしまったボクは、そのとき大いなる勘違いをし、今日の今日まで、その勘違いは続いていたのでした。それは…大半が高校時代の回想シーンである本作を、回想の途中から観るとどんな作品になってしまったか、ということなんですが…回想が終わって高知に着くと、松野に再会し、続いて高校のクラス会があり、里伽子の話題が出て、そのまま東京に戻って始まりと同じ駅のホームのシーンで、里伽子と拓が再会する。たったそれだけで、本作は終わってしまうんです。「えっ!? 終わり? これから始まるんと違うん?」で、番組が終わったあと、何やら本作の紹介みたいなのが流れたんで、「あぁ、そうか。これはイントロダクションで、本編は劇場映画でやるんだ!」と了解してしまったのです。“ジブリがいっぱいcollection”に本作がエントリーするに当たり、「テレビ版と劇場版と併録なんかなぁ?」などとぼんやり考えながら見たんですが、観終わってみると、なんと13年前に見たときと同じエンディングのままではないですか! そのときやっと、元々こういう作品で、テレビでしかやらないコンテンツだったんだと知ったワケなのです。

 ま、ボクのくどい勘違い話はさておき、すごく淡白な印象のエンディングであることは否めません。ただ、初めて通しで観てみると、「あぁ、こんな構成、ありやね」と、納得もしました。確かに、拓と里伽子の物語は、本作のエンディングから始まるのでしょうが、それはまた別のお話、ということ。ファンサイトなんかを調べると、本作は元々雑誌“アニメージュ”に連載されていた氷室冴子さんの同名小説を、挿絵を描いていた近藤勝也さんの作画でテレビのスペシャル番組としてアニメ化したもので、そのときにストーリーの構成も若干いじっているんだそうです。小説ではもう少し拓と里伽子の現在進行形が語られているようなのですが、スパッと割り切ってみせたんでしょうね。ちなみにこの後の続編も小説ではあるそうなので、本当に別のお話はあるんですね。

 まぁ、ストーリーは、青春時代に似たような思い出をお持ちの方でなかったら、タルいだけのような気がします。全体的な雰囲気、たとえば土佐弁の持つ独特のテンポなんかは、イイ感じなんですけどね。ただ、何の思い出も持ち合わせないオッサンとなってしまったボクにしてみれば、寸止め地獄に身悶えするような居心地の悪さばかりを感じたのは事実です。テーマ的に、高校時代にあった拓と里伽子、松野の三角関係と、大学生になってバラバラになったあとのそれぞれの心の成長を表現しているのは分かるんですが、ボクにとっては、その辺、“共感”よりも“羨望”を感じるところなんですね。『そんな思い出があって、そんな恋の始まりの予感に包まれている』なんて、ただただ羨ましいだけやなぁ、と。

 ま、回想シーンを変にドラマちっくにせず、淡々と描いたところはよかったかな。

 ところで、どこらあたりで“海がきこえる”の? ハワイの海か? 桂浜は場面としては出て来んかったよな。おバカですんまそん。

●監督:望月智充 ●作画監督・キャラクターデザイン:近藤勝也 ●原作:氷室冴子(小説「海がきこえる」)