一応、邦画劇場

過去の自分、現在の自分、そして未来の自分に向き合う映画鑑賞

女王蜂

私的評価★★★★★★★☆☆☆

女王蜂[東宝DVD名作セレクション]

 (1978日本)

 昭和7年秋、京都から伊豆天城の『月琴の里』に、源頼朝の末裔と言われる大道寺家を訪ねた2人の学生がありました。学生のひとり、日下部仁志(佐々木勝彦さん)は、大道寺の一人娘・琴絵(萩尾みどりさん)と懇ろになり、3ヶ月後、琴絵は妊娠したことを京都の仁志に連絡します。大道寺家を再び訪れた仁志は、琴絵と彼女の家庭教師の神尾秀子(岸恵子さん)を交えて、離れの『唐の間』で話し合いました。しかし仁志は自分の身元も明かさず、そればかりか結婚を待って欲しいの一点張りで、激昂した琴絵は仁志にもらった指環を返すと言って、部屋を出て行ってしまいます。秀子が主に呼ばれて部屋を出て行ったあと、唐の間から琴絵の絶叫が屋敷中に響き渡りました。秀子が唐の間に駆けつけると、唐の間の扉は中から閂がかかっています。秀子が扉を叩いて琴絵を呼ぶと、閂が外され、放心状態の琴絵が真っ青な顔を覗かせ、その奥には、頭から血を吹いた仁志の死体が…。やがて、日下部の友人で、彼と最初に月琴の里を訪れていた速水銀造(仲代達矢さん)が、琴絵に求婚し、大道寺の婿養子となります。ところが、琴絵は月琴の里を離れようとしなかったため、彼女と娘の智子は、京都で材木商を営む銀造とは別居生活をすることになりました。そして時は流れて、昭和27年。19歳になった琴絵の娘・大道寺智子(中井貴恵さん)が、大道寺家の時計塔で悲鳴をあげました。智子の家庭教師となっていた神尾秀子たちが駆けつけると、智子の求婚者のひとりである遊佐三郎(石田信之さん)が、頭を割られて死んでいました…。


 市川崑監督の金田一耕助シリーズ5作の中で、唯一原作を読んでないんですよね。で、改めて読む気もないので、ネットで原作のレビューを探したところ、いろいろと原作と違うことが分かりました。たとえば、月琴の里は、原作では伊豆沖の月琴島という孤島になってます。また、最も違う点は、犯人の殺人の動機でしょうね。本作の方が、ちっとばかし、分かりやすいかもしれません。ネタバレになるんで、これ以上は触れませんが^^;)。

 作品の雰囲気的には、たとえば『獄門島』や『悪魔の手毬唄』のような、おどろおどろしい怪奇的なムードは希薄です。乗馬やテニスを嗜む智子の溌剌としたところは、戦後に西欧化の波が押し寄せつつあった時代を表しているようでもあり、そのあたりの時代背景が、怪奇的な色合いを薄めている要因でもあるようです。しかし、最近テレビドラマで撮られる、安易に現代風な横溝作品とは明らかに一線を画していますし、これはこれで、個人的にはお気に入りです。

 智子に言い寄る男性が次々と死ぬのですが、「えぇ〜っ!そんなぁ〜!」とため息が出るような、杜撰な殺害方法があったりします。手抜きかもしれません。ある意味、現在進行している殺人事件は、謎でも何でもない、だからこの辺で勘弁して、みたいな印象を受けます。一番謎なのは、19年前の唐の間の殺人事件であり、一連の事件の犯人が誰で、何故事件を起こしたのか、という点です。そんな感じで、智子が『女王蜂』で、男を次々と犠牲にしていく、という雰囲気はまったくありません。あしからず、なのかな?(苦笑)

 前作の『獄門島』では周到だった、伏線の映像を挟む手法ですが、本作はけっこうワザとらしい印象です。ネタバレになるんで踏み込んで触れませんが、「おっ、その動作は、何?」とか「そのセリフは、もしや?」とか、あからさまに意味ありげなのです。意味ありげだけど、分かったときには、たいした秘密でもなかったな、みたいな、拍子抜けを感じるかも。

 なんか、否定的な感想にとられそうですが、ボク自身は、けっこう好きな作品です。念のため。

 当時の流行語(?)---『口紅にミステリー』は加藤武さんのセリフですが、う〜ん、化粧品のCMにも流用されたような、そんな気がするんですが、あやふやです。

 金田一耕助が事件を解き明かすと、犯人は必ず自ら命を絶つ、というのが市川崑監督の作風ですが、本作はもっともショッキングな死です。

●監督:市川崑 ●原作:横溝正史(小説「女王蜂」)