一応、邦画劇場

過去の自分、現在の自分、そして未来の自分に向き合う映画鑑賞

有りがたうさん

私的評価★★★★★★★★☆☆

あの頃映画 有りがたうさん [DVD]

 (1936日本)

 
伊豆の峠道を走る乗合バス
その運転手を人々は〝ありがとうさん〟と呼んだ


 伊豆の村落を抜けて峠道を走る定期乗合バス。山道で出会う人々が道端に避けてくれる度に「ありがとう」と感謝のひと言をかける若い運転手(上原謙さん)は、街道の人々から〝ありがとうさん〟と呼ばれていた。道行く人のことづてや、町での買い物まで引き受けて慕われる彼のバスには、様々な人々が乗ってくる。今日も始発の町から乗り込んだのは、港から港へ旅する訳ありげな女(桑野通子さん)、貧しさのために東京へ売られていく娘(築地まゆみさん)と、その母親(双葉かほるさん)、髭の頑固な紳士(石山隆嗣さん)、金の発掘を夢みる男、行商人たちなど。人それぞれの悲哀や艱難辛苦を乗せて運行していた。
(DVDパッケージから引用)



 〝ありがとうさん〟と呼ばれ、バス路線の街道界隈に住む人々に愛される若いバスの運転手と、乗客たち・街道を行く人々との触れ合い、そしてそのバス道中で繰り広げられるさまざまな人間模様を、伊豆の美しい自然美を背景にユーモアとペーソスを交えながら描き出すロードムービーの佳作です。


 今から84年前の映画です。
 どんぐらい古いのか……公開日の昭和11年2月27日の前日が二・二六事件の起こった当日、歴史の教科書に出てくるような古い時代のモノクロ映画です。

 1929年の世界恐慌から1941年の太平洋戦争に向かうまでの間のちょうど半ばのころ、登場人物たちの会話を聞くと、何かと先行きの見えない不安な時代だったのでしょう。
 不況続きで農作物は値がつかず、男は漁に出ても雑魚一匹獲れない不漁で、町に出ても働き口が無くなり失業するばかりだから、生まれてきてもやがてルンペン*1になるしかないと言われます。女も働ける年齢になれば一束いくらで売られていくため、駅のある町まで峠二つ越える伊豆の田舎の港町から峠を越えて出て行った少女は、ほとんど帰って来ないと言われていましたから、本来おめでたいはずの子宝が『お悔やみが言いたいぐらいですよ』とまで言われるような世知辛い世相が浮かび上がります。


 そんな時代に、一人の少女が東京に売られていくために、母親に連れられて〝ありがとうさん〟の乗務する乗合バスに乗り込みます。

 バスは未舗装の狭い山道・峠道を走り抜け、道行く人や馬などに道を譲ってもらうたびに『ありがとォー!』と若い運転手が大きな声で礼を返しますが、乗用車はほぼ通らないような場所柄、時代でもあるようで、のどかな雰囲気です。

 のどかと言えば、いつの間にかバスの最後尾、おそらくバンパーの上でバスにしがみついていた複数の小学生たちが、一人、また一人と飛び降りて別れていく際に『失敬!』と呼び合いながら帰っていくのが、なんとも言えずのどかな風情です。


 長い道中は、『二十里の山道』というセリフがあるので、80キロメートルほどでしょう。

 いったん駅のある町まで行くとその日は町に泊まり、翌日港町の集落に戻るという会話がありますから、二日で一往復です。

 今より道路事情も良くなかったでしょうし、子どもがしがみついていられたり、飛び降りても転げないでいたりと、バスもその程度のスピードしか出ていなかったということなのでしょうから、80キロでも遠い道のりだったようですね。

 今なら大阪~東京を結ぶ高速バスの旅みたいな、ちょっとしたバス旅行といった風情を感じます。

 そのせいでしょうか。さまざまな客が乗ったり降りたりするにつけ、降りた客が次第に遠ざかっていく映像がたびたび映し出されるのを見ていると、一期一会というのか、次に会うことがあるのかどうなのか、なんて思うと、なんとも言えず切なさを感じてしまいます。



 物語は、一瞬の暗転の後、二日目の帰りのバス便の中で、唐突に終わります。
 唐突ですが、なんとも言えず、〝ありがとうさん〟の人柄に触れ、心がほんわかと温かくなりました。
 世知辛い世の中とはいえ、人情味あふれる時代だった、そんな感じでしょうか。



※購入したのは、こちらの商品

清水宏監督作品 第一集 ~山あいの風景~ [DVD]

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  • 出版社/メーカー: 松竹
  • 発売日: 2008/04/25
  • メディア: DVD
※同梱された作品はみな佳作です。
vgaia.hatenadiary.org
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●監督:清水宏 ●原作:川端康成(掌編小説『有難う』〔『掌の小説』所収〕/新潮社刊)

*1:布切れやボロ服を意味するドイツ語〝Lumpen〟が転じて〝浮浪者〟や〝乞食〟を意味する和製外来語