南瓜とマヨネーズ
私的評価★★★★★★★★★☆
(2017日本)
ライブハウスで働くツチダ(臼田あさ美さん)は同棲中の恋人せいいち(太賀さん)がミュージシャンになる夢を叶えるため、内緒でキャバクラで働きながら生活を支えていた。一方で、自分が抜けたバンドがレコード会社と契約し、代わりにグラビアアイドルをボーカルに迎えたことに複雑な思いを抱え、スランプに陥っていたせいいちは、仕事もせず毎日ダラダラとした日々を過ごす。そんなとき、ツチダはお店に来た客、安原(光石研さん)からもっと稼げる仕事があると愛人契約をもちかけられる。
ある晩、隠していた愛人からのお金が見つかってしまい、ツチダがその男と体の関係をもっていることを知ったせいいちは働きに出るようになる。そして、ツチダが以前のようにライブハウスだけで働きはじめた矢先、今でも忘れられない過去の恋人ハギオ(オダギリジョーさん)が目の前に現れる。蓋をしていた当時の思いが蘇り、過去にしがみつくようにハギオとの関係にのめり込んでいく。
(映画『南瓜とマヨネーズ』公式サイト「ストーリー」より引用)
映画『南瓜とマヨネーズ』公式サイト
WOWOWで去年の9月に録画したのを観てたら、たった今、同じ時間に日本映画専門チャンネルで放送してたという奇跡www
こういう生々しい恋愛映画は苦手。なんだけど……なんか、すごかった。何をどう言えばいいのか分からないんだけど。
冒頭、キャバクラからの帰り道、ツチダの閉塞感が、画面から漂って見える。
一撃で壊れた棚の件、せいいちのちょっと先を見通すことすらできない頼りなさを感じる。
たぶん、せいいちが働かずにギター爪弾くだけの毎日を送っているのは、ツチダの過剰な入れ込みのせい。
つくし過ぎて、甘やかしすぎて、男をダメにしてしまうタイプの女。いや、つくしている自分に酔っているだけなのかも。
だから、「アンタの音楽のせいで毎日振り回されて、毎日気ィ遣って」って、つい口走ってしまう。
知らず知らずのうちに、無理しすぎてゆとりがなくなってる。
〝わたしたちはもう、終わっているのかもしれない。
でも、わたしたちにはこの部屋のほかに行くところがない。
わたしたちには、お互いしかない。〟
せいいちは、先の見通しの立たないまま、憑かれたようにバイトを掛け持ちして、寝る間を惜しむように働き続ける。
愛人から金を受け取っていたツチダへの当て付けのようでもあり、不甲斐ない自分へのムチのようでもあり、なんだか痛々しい。
やっぱり、ゆとりを失っていく。
お互いしかないはずなのに、二人の心はすれ違い始め、ツチダの心にぽっかりと穴が開き始める。
そんなとき、忘れられない昔の恋人ハギオが現れると、ツチダは心の穴を埋めるようにハギオへ急速にのめり込んでいく。
〝好き好きうるせえのは変わってないよな。〟
ハギオのふわふわと浮ついたカンジ、同性としては正直なところイヤなやつなんだが、不思議と悪意を感じさせないところが、きっと罪作りなんだろうと思う。
女のほうから言い寄ってこさせる雰囲気と物言い、自然にできちゃうオダギリさんの演技がすごい。ネームで浮かない、見事な溶け込み具合で、画面に収まってる。見事なくず男っぷり。
せいいちとハギオ、二人の男の間で揺れるツチダに、可奈子(清水くるみさん)が答える指摘が的を射ていて、ぐだぐだになりそうなストーリーを何とか引き止めてる気がした。キャバ嬢、さすが人の心を見通す力が半端ない。
〝せいちゃんが良くてもアタシはやだよ。
せいちゃんがいつか歌ってくれるの待ってたのに、アタシはどうなんの?〟
『のに』がつくと恨みがましくなってしまう。善意・好意の押し売り。
せいいちから別れを突きつけられたときの、臼田さんの演技がすばらしい。唇をわなわなと震わせながら吐き出すコトバの力に圧倒される。見事なめんどくさい女っぷり。
立ち呑み屋でのハギオとツチダの短いやりとりが、またすごい。
言葉数はさほど多くはないが、ツチダの心を見透かすハギオのコトバが鋭くて、グサグサ刺さってくる。
やっと仕上げたせいいちの曲。
ツチダはせいいちが歌う前から涙が止まらない。
不思議な歌詞だけど、コンガだけの伴奏と、枯れたせいいちの歌声がすばらしくマッチしていて、胸に響いた。
人物を映すときの映像の切り取り方とかが上手いのか、観ていて知らず知らずのうちに、画面に集中してしまっていた。
音楽も心理描写を補強するようなシンプルな使い方で、邪魔臭くなく、良かった。
何より、人物描写が丁寧で、心のゆらめくテンポが押し付けがましくないのがすばらしい。監督が前に出しゃばらないカンジの演出が秀逸。
原作を読んでなくて恐縮だけど、女性の原作者ならではの女性心理の繊細な揺らぎを、見事に映像化しているんじゃないかな?
そして、最後のエンドクレジットが見事!
縦書きのクレジットが現れると、無音なため、音声出てないのかと思ったら、横書きのクレジットが縦スクロールし始めた途端、かすかな物音が……劇中で使われたSEのみが流れているのだ。
何を表す演出だろう?
ボクは、何気ない日常の続きを感じた。
それが正解なのかどうかは分からないけれど、自然体で過ごすことの中に、しあわせがあるってことを言いたかったのかな?と思った。
いっぱい書いたけど、ボクには到底経験できないと思える、ステキなラブ・ストーリーだと思う。
こんな駄文読んでるくらいなら、観たほうがいい。きっと、胸が震える。