埋もれ木
私的評価★★★★★★★★★☆
(2005日本)
映画の舞台は山に近い小さな町。女子高校生のまち(夏蓮さん)は、女友達と短い物語をつくり、それをリレーして遊ぶことを思いつく。次々と、紡がれる物語は、未来へと向かう夢——。町に住む大人たちにも物語はある。でもそれらはみな、現実の歩みがつくった自分史。過去——。ふたつの物語は、山、森、雨、くじら、らくだ、馬、さまざまなアイテムと出会い、ファンタジーへと姿を変える。夢、過去、現実、未来が溶け合って、人々は、埋もれ木のカーニバルへと行きつく。(DVDパッケージから引用)
前にも書いたが、観てないDVDがヤマほどあって、ときどき蔵出しして観てるワケだ。
本作も13年前にAMAZONで購入履歴が出てきた^^;
美しい映画。映像的にも。心情的にも。
なんつーか。藝術作品。芸術じゃなくて、藝術。大学の講義で、センセーがやけに強調してたの、思い出した。
『芸』と『藝』は、別字であって、同じ意味ではない、てなカンジだったかな?
ちょっとググッてみると、本来の意味が全く違うね。
・藝——種を植え付ける。
・芸——草を刈る。耕す。
人の心に〝種を植え付けて〟心を豊かにするのなら〝藝術〟の方だな。
あだしごとはさておき。
不思議な世界観の映画。
宮沢賢治さんの描くイーハトーブか、ますむらひろしさんの描くアタゴオルみたいだ。
映画のようでもあり、舞台のようでもある。
現実のようでもあり、夢のようでもある。
ドキュメンタリーのようでもあり、ファンタジーのようでもある。
過去の記憶のようでもあり、現在から未来への希望のようでもある。
子どもを亡くして失意のうちに廃業してしまった建具屋。
娘のことや建具屋のことを語り合う父と母のたわいもない会話。
家の前の路地に居座り抗議する老婆と彼女を取り巻き様子を伺うご近所の人々。
親が別居している母子家庭の高校男子。
入国管理局による歓楽街の不法就労者の取り締まり。
女子高生たちが『嘘を重ねて』つづる不思議な物語のリレー。
子ども地蔵の日の子どもたちによる通行税の取立て。
笹舟、トンパ文字、朝靄、ストリートミュージシャンの歌声……。
夜半の雨上がりに咲くアジサイの花。
水たまりに浮かぶクジラの絵。
工事が中断した高架の道路。
森の中をジャンプしながら移動する子どもたちの幻想。
そして、工事現場から掘り出されて見つかる〝埋もれ木〟と、そこから掘り起こされる埋没林の威容。
さまざまな思いや願いを乗せて、紙灯篭のクジラが、赤い馬が、静かに夜空に向かって浮かび上がるさまは、しんみりと泣ける。
日常と非日常を巧みに行き交う=此岸と彼岸を行き交う=消滅と再生を繰り返す、この世の理(ことわり)。
まちの母が夕食時にまちに語りかけた、飼い犬のお話。
『〝ありがとう〟ってお別れの言葉なんだ』って、母。
泣けて仕方なかった。
ストーリーは、たぶん。無いに等しい。
しかし。いろんな思いが去来する。
『またね』
最後は深い余韻とともに、未来への希望が残った。