ラストレター
私的評価★★★★★★★★★☆
(2020日本)
君にまだずっと恋してるって言ったら信じますか?
裕里(松たか子さん)の姉の未咲が、亡くなった。裕里は葬儀の場で、未咲の面影を残す娘の鮎美(広瀬すずさん)から、未咲宛ての同窓会の案内と、未咲が鮎美に残した手紙の存在を告げられる。未咲の死を知らせるために行った同窓会で、学校のヒロインだった姉と勘違いされてしまう裕里。そしてその場で、初恋の相手・鏡史郎(福山雅治さん)と再会することに。
勘違いから始まった、裕里と鏡史郎の不思議な文通。裕里は、未咲のふりをして、手紙を書き続ける。その内のひとつの手紙が鮎美に届いてしまったことで、鮎美は鏡史郎(回想・神木隆之介さん)と未咲(回想・広瀬すずさん)、そして裕里(回想・森七菜さん)の学生時代の淡い初恋の思い出を辿りだす。
ひょんなことから彼らを繋いだ手紙は、未咲の死の真相、そして過去と現在、心に蓋をしてきたそれぞれの初恋の想いを、時を超えて動かしていく―――
(映画『ラストレター』公式サイト「ストーリー」より引用)
前半観ながら、劇場で思ってたこと。
『君にまだずっと恋してるって言ったら信じますか?』
世の(自称)乙女のみなさま、福山さん扮する乙坂鏡史郎に、手紙でこう書かれたら、うれしいですか? 胸がキュンキュンしますか?
神木さんの成れの果て(失礼)が、福山さん。
だけど、見た目は冴えない無精ひげの〝自称・売れない小説家〟というか、かつての恋人との日々をつづった私小説一作しか、世に出していない。
しかも、彼女のことをいまだに引きずってて、ほかの題材に思いが向かず、何も書けていない。
正直言って、かなりヤバいカンジのナルシストにしか映りませんが、見ている側が不純な思いを混ぜ込んだらアカンのでしょうなぁ^^;
後半観ながら、劇場で思ってたこと。
25年って数字が出てたから、〝Love Letter〟からの時間を意識してるんだろうなぁ。
その上で、前作の主演・中山美穂さんと、相手役の豊川悦司さんが夫婦役(設定上は同居人らしい)で出演されているのは、感慨深いですなぁ。
しかも、いずれも前作で持ち合わせていた、ピュアな心根の欠片も感じさせないぐらいに、世間ずれしちゃっててさ。
時の流れは、残酷なときもある、そんなカンジ。
とはいえ、お二人ともこの〝叙情的で美しいばかりの物語〟に、強烈なスパイスを与えてくれていて、ぐっと作品の質が上がってたように思いました。
特に、豊川さん扮する阿藤が、自分のダメさ加減を認めたうえで、鏡史郎を罵倒するようにダメ出しするくだりは、良かった。
そこで自責の念に駆られてか、自分の情けなさにグッと涙をこらえてダメんずな表情になってしまう福山さんの演技も良かった。
聞きようによっては、阿藤は鏡史郎が背負う『かつての恋人への絶ちがたい恋心という重い十字架』から鏡史郎を解放させるつもりで、激しく罵るように叱咤してたのかもしれないですね。いや、単に思いを断ち切れずに私小説なんかにしちまった、鏡史郎の自己中なイジケ具合に、イラついてただけかな?
全体を観終わって、劇場で思ってたこと。
う~む、実にあざといストーリーだな^^;
トータルで、とっても美しい話に仕上がってるんですよ、確かに。
しかし、またいつもの素直に受け入れられないボクの偏屈な性格が発動してしまい、一点の曇りが拭えないことが、この美しい映画を素直に評価できずにいるところなのです。
『大学時代に、何で別れちゃったんだろうなぁ。』
男と女の間柄だから、他人には分からないことで、別れることもあるんだろうし、そこは深掘りしちゃ野暮なんだろうけど。
とはいえ、乙坂の引きずりようを見て、さらに、未咲のその後を知るにつけ、観ている側は、何があったのか、気になるよなぁ。
でもね。
このお話は、昔を懐かしく思い出して、亡くなった大切な人に思いを寄せることはできても、時間を巻き戻すことはできないことを、作品のあちこちで、ちゃんと提示してるんだよなぁ。
25年後に出演した中山さんと豊川さんの変わりようも、ある意味その趣旨に則ってると思うの。
乙坂と裕里、乙坂と少女たちの手紙のやり取りと、その内容も、そう。
もっと言えば、建て替えられる思い出の校舎だったり、裕里の義母の英語のレッスンにかこつけた恩師との老いらくの恋も、そうだと思うのよ。
で、そういった流れで、トドメが、タイトルの〝ラストレター〟の中身でしょ。
そうは思ってもね。
やはり。
『なんで、未咲、亡くなったんだろなぁ。』
それだけが、前作の樹(男)の死にも増して、切なくてしかたない。
全体を流れるこの作品の落ち着いたトーンが大好き。
間違いなく、ブルーレイ出たら買う。
※この作品から25年。広瀬すずさんも森七菜さんも、まだ生まれてなかったんだよなぁ。
vgaia.hatenadiary.org
[2020.01.23追記]
1995年といえば、阪神淡路大震災の年だったね。
前作は神戸がメインの舞台だったから、公開日を1.17に合わせたのは、そういう意味もあったのかな。
そして25年後の公開作品の舞台が、9年前3.11に東日本大震災で被災した仙台。
この作品には、震災で亡くなった方、愛しい人を亡くした方への鎮魂の意味もあるのかな?
だとしたら……相変わらず、自分、見方が浅いなぁ、と思う。